2011年4月21日木曜日

またカナダ(4月20日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

とりあえず朝起きて、ボスの所へ。
ふむ、この日一日は何をしていたかよくわからん。
とにかく、データの解釈を考えていたことは確か。

頭が冴えない。

2011年4月19日火曜日

成田で時間をつぶし出国(4月19日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

朝から伊丹を出たは良いものの、実は昼前から夕方までの8時間を成田でつぶさねばならぬのだ。
しかし、ダーリンと一緒と言うこともあって、さほどヒマを感じず、二人でダラダラしていたら時間が来た。
一発ビールを飲んで、出国。

2011年4月18日月曜日

実家を出る(4月18日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

昼まで家でゆっくりして、夕方には実家を発つ。
電車で一路大阪の豊中へ。
次の日の朝の飛行機で成田へ行かねばならぬので。
空港前のモノレールの駅に着いてから、行き当たりばったりでホテルを探し始める。
どうも空港の建物内にホテルも併設されているようだ。
電話をして値段を聞いてみるとさほど高くもない。
なので「今から行きます」と予約をして、数分後に到着。

狭い部屋ではあるが、改装直後なのか、とても綺麗(室内だけでなくロビーなども)。
これは良い。

一旦荷物を置いて、夕食を食べに行く。
タクシーを捕まえて、蛍池か石橋か、食いもん屋の開いていそうな所へ、とお願いする。
じゃあ、ちょっと遠くなりますけど、石橋の方が良いですね、と向かい始める。
しかし空港のロータリーから出てわずかのところで、「あ、お客さん、ここの中華料理屋も結構美味しいですよ、雑誌なんかにも出てるみたいで」と教えてくれた。
ダーリンと相談して、それならば、とそこで降ろしてもらった。
店内には確かに雑誌の切り抜きが飾られていた。
正直に言うとどんな味だったかまでは憶えていないけど、馴染みやすい味だなと思ったことは憶えている。
帰りは歩いてホテルに戻った。

2011年4月17日日曜日

さよならドジョ(4月17日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

今まで家で飼っていたどじょう、その名もドジョを実家の近所の水場に逃がしに行く。
人間の勝手な都合で捨てられるかわいそうなペット、ドジョ。
泣ける。
たかだかドジョウ。
しかし大学1年生か2年生の時から、10年ほど一緒に暮らしていたのだ。
スーパーマーケットの鮮魚売り場で食用として売られていた彼。
店のお兄さんに一匹いくらかと聞くと、「量り売りだけど・・・もしかして飼うつもり?あはは、じゃあ、しかたない。」とサービスで5匹頂いたうちの、一本(一匹)が彼なのである。
もらった時にネットでドジョウの飼い方を調べると、「うまく飼えば1年は生きる」とか書かれていた。
しかし、彼は10年生きて、まだまだ元気であった。

生態系が崩れる?
そうかもしれんね。
なんなら食ってしまうという手もあったが、それはどうしてもできなかった。
だって水槽の水が汚いんだもの(笑)


なかば伝説上の生き物と化したドジョを撮影した貴重な写真。
写真上半分に、ゴミの下をくぐるような姿で写っている(左を向いている)。
(下半分に移っているにょろっとしたものはゴミ。)

その後、実家に宅配で運ばれてきた冷蔵庫を受け取り、良きに計らう。

2011年4月16日土曜日

さよならN岡京(4月16日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

朝から引っ越し作業。
夕方には立ち退きの立ち会いがあるので、完璧に終わらせねば。

貸倉庫も、もうパンパンである。
そこに何とか詰め込み、入らない物は自動車に詰め込み、なんとか終了。

立ち退きの後、自動車の微妙な隙間にさらにダーリンを詰め込んで、実家へGO.

途中、旧宅(すでに)の近所の回転寿司へ行く。
僕がカナダに住み始めてからできた店だが、回転寿司の割にネタがよいと評判だったので。
たしかに、良い。
僕が住んでいた時にあれば良かったのに。

夜に自宅着。
荷物を降ろしておやすみなさい。

2011年4月15日金曜日

引っ越し&ゴミ廃棄(4月15日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝から引っ越し。

冷蔵庫はさすがにでかくて素人で運べる大きさではないので、運送業者に取りに来てもらった。
そしてこれは貸倉庫ではなく、僕の実家に置いておくことに。

夕方には引っ越し作業に終わりが見えてきて、粗大ゴミ含む大量のゴミを市の廃棄施設に持ち込む。
直接持ち込めば意外と安い。
あんなに「物の無い生活」をしていたのに、やはり引っ越しをするとたくさんのゴミが出る。

夕食はダーリンとホルモン食う。
徒歩なのでビールも飲む。

2011年4月14日木曜日

自宅着(4月14日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝、早く出発して羽田に向かわねばならないが、ホテルの食堂がなかなか開かない。
といっても時間きっちりに開いたのだが、なんとなく焦る。
昨晩の夕食は微妙なバンバーグ定食だったが、朝食はビュッフェ式。
とりあえず、納豆を食べ、温泉卵を2個食べた。

食後部屋に戻り、荷物を持って降りるとすでに羽田空港行きのシャトルバスが来ていた。
それに乗り込み、あとはなされるがまま。

昼頃に自宅に到着。

久しぶりにダーリンとともに昼食を摂る。
そして早速引っ越し作業に取りかかる。
まずはざっくり箱詰めをして、貸倉庫に持って行き、倉庫の大きさを確認。
かねてよりダーリンは「余裕で入る」と言っていたが、僕の見立てでは「そうか?」という感じ。

食事は、残念ながら、豪華な手料理とはいかない。
なぜなら、明日までに冷蔵庫をカラにしておかねばならないので。

夜まで働き、就寝。

2011年4月13日水曜日

一日遅れ(4月13日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

本当なら、13日のうちに京都(長岡京)までたどり着くはずだった。
が、出発の遅れのせいで、日本に着いたのは夜の9時を過ぎてから。
空港で、「もう伊丹へ向かう便はないので成田で一泊せよ」との指示が下った。
なんじゃとー。

とにかく成田で要領を得ない説明を受け、シャトルバスでホテルへ移動。
(係のお姉さんは明らかに日本人で、僕に日本語で説明してくれたが、それでもわかりにくかった。僕の後ろの人には英語で説明をしていたが、あれで通じたのだろうか?)

航空会社が取ってくれたホテルは、成田エクセル東急ホテル(もちろん料金は航空会社持ち)。

部屋に入ってみると、案外古い(笑)

当ホテルのWebページを見ると、もっと綺麗な部屋の写真が掲載されている。
Web用に綺麗な部屋を選んだか、緊急用の部屋は改装前のボロイ部屋を当てているか、その両方か。
理由はともあれ、こんな部屋でした。

2011年4月12日火曜日

日本へ一時帰国(4月12日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

今回の帰国に関しては、日本の知人には知らせていない。
帰国の目的は引っ越しで、その作業だけで時間が一杯一杯だから。
ああ、遊びたい。


朝、指定した時間を過ぎてもタクシーは現れず。
一旦部屋に戻り電話やメールを確認するも、何も連絡は無し。

4,50メートルほど離れた道路をどんどんタクシーが過ぎてゆく。
この時期、学生もホリデーや故郷に帰る人が多いらしい。
そうこうしていると、15分を過ぎた頃に、一台のタクシーが目の前に停車。
やっとかよ。
と、歩み寄ろうとすると、「ちがう、ちがう」という感じで手を振られた。
降りてきたドライバーに、「え、僕のじゃないの?」と聞くと「違うよ。」と。
彼は単に、アパートの一階に置かれている無料の新聞をもらいに来ただけのようだった。
なぬーっ。

しかし新聞をゲットした運転手のおっさんが、「待っているのはどこのタクシー会社だ?」とか探りを入れてきた。
会社名を伝えると「・・・知らんなぁ。良かったら、乗せていってやれるけど、どこまで?」と。
一瞬迷ったが、甘んじることにした。
元のタクシー会社には、(僕は携帯を持っていないので)空港に着いてから連絡入れておけばよいか、と。

やはり、タクシーは速い。あっちゅうま。
運転手に、「バスなら1時間半かかるのにね。」と言うと「おうよ、そりゃバスよりは少し高いけど、こっちの方が断然便利だよ。」と言っていた。
「そうですね。」と言いながら、心の中では「(いや、だいぶ高いやろ)」とつぶやいた。

 とりあえず、朝食は軽く食べてきたが、空港でヒマなのでもういちど朝食を摂ってみる。

ハンバーガーをガッツリ。

念のため、電光掲示板で便の確認をする。
曰く、定刻通り。
よろしい。


実は、はじめから元のタクシー会社を信じておらず(笑)、いざタクシーが来なくてもバスに切り替えればギリギリ間に合う時間に家を出ていたので、だいぶはやく空港に到着していた。
出発の4時間前。
まあ、国際線は2,3時間前に着いておけと言うし、ちょっと空港内でぶらぶらしてりゃ、大したことない。

ひとしきりぶらついた後、出発ゲートに戻ると、ゲート番号の変更があった。
変更された場所へ行ってみると、 なんか、雰囲気がおかしい。


電光掲示板で確認すると、どうやら遅れが発生しているようだ。
まじかよー、とか思いながらよく見ると、4時間以上も遅れる、とな。
ダルすぎる。
記念に掲示板の写真を撮っていると、見知らぬ日本人に「Do you speak Japanese?」と聞かれ、思わず「Yes.」と答えてしまう。
そこは「はい」で良いだろう。
その方と「これって、こういうことですよね?」などと確認していると、さらに他の日本人も会話に加わり、3人ですこし話し合う。
いや、表示通りなんでしょうが、こんな天気の良い日になんでいきなり?という疑問もあり。

夕方になり、やっと我らが飛行機到着。
実は本来乗るはずだった飛行機は、調子が悪かったとか何とか、という噂を(盗み)聞いた。


8時間ほど空港で待っていたのか。

これだけ時間があったら、いっぺん家に帰ってくつろいでから来ることもできるな。

 バスでな。

2011年4月11日月曜日

出発準備(4月11日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝食。

朝、ボスからこう言われた「修正版の論文を再投稿した後、ビールを飲んだか?」。
「まだです。」
「それは、いけない。論文がダメになってしまう。」
ボスの長年の経験則から、投稿後にビールを飲まなかったらその論文は悲しい結果を迎えるのだそうだ。

昼からF女史に実験参加してもらい、ごにょごにょして一日終了。
とりあえず飛行機の便番号などが書かれた旅程表をプリントアウトしておく。

4時に仕事を切り上げる。
学内のパブでとりあえず1パイントだけ飲んでおく。
一人ぼっちですが。
 幸運よ、これで何とか持ちこたえてくれ。

帰宅後、4時台に晩ご飯。
豆カレー。

先日から作ってあったので、掛けるだけ。
日本からこちらに戻ってきたときに食べるものがないといけないので、あまりは冷凍しておく。

明日は日本へ発たねば。
いろいろ考えに考えた末、バスではなくタクシーで空港まで行くことにする。
英語電話に自信がないので、Webで予約できるところを探し、発見。
時間などを入力し、「Submit」ボタンを押すと、確認画面はもとより、「送信しました」といった画面すら表示されず、元の画面に戻った。
さすがに心配になったので、結局そのタクシー会社に電話をすると、「ああ、明日の朝9:30の予約を今入れた人ね。ノープロブレム!」
これで一安心。

学生さんにやってもらうことがあったので、僕がカナダを離れている間にやってもらおう。
その指示をメールで送信。

明日の荷物の準備。
何度も「明日で良いのよね、飛行機、合ってるよね、パスポートって、これの事よね」と確認。

2011年4月10日日曜日

(4月10日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝ご飯。

 昼ご飯。

スケジュール帳をめくってみても、この日の記録は何も書かれていないが、記憶によると、確かF氏とどこかのスーパーへ行った様な気がする。


そこでSkypeのログを掘り返してみると下のような会話があった(要約)。

 F氏「買い物に行こうと思うけど、行く?もうすぐ日本に行くから必要ない?」
僕「どこまで?」
F氏「まだ決めていないけど、大量のパスタがほしいのでWalでもいいな。」
僕「Walなら行かない、ヤバスーなら行く。」
F氏「じゃあ、ヤバスーにしますか。」


で、買い物で何を買ったのか不明。
こちらに来た当初はレシートも置いていたけど、最近はどんどん捨ててるからな。
とにかく、夕食を見る限り物を買ったのかどうかも不明なくらい。
たぶん、卵を買った気がする。

2011年4月9日土曜日

(4月9日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

肉を食べない月間は続く。
朝食はタマゴサンド。

昼食は大根のたいたん。
冷凍庫から掘り出したと思われる。
解凍された大根はつぶれるような食感がよろしくない。

 高野豆腐とレタスのようなものを食べてお休み。

2011年4月8日金曜日

(4月8日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)


F女史に実験に参加してもらい、その後つづけて英語を教えてもらう。

晩ご飯。
なんだこれ?
豆カレーを出汁か何かで解いてリングイネにかけた物と思われる。
縁で泡立っているのがなんかヤだ。

2011年4月7日木曜日

コーヒーメーカーを購入(4月7日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月3日。)


色水。うまい物ではない。
まあ、溶けた「チューペット」。


上の飲料を買ったときに、おつりの所で・・・・

中国のお金発見。
正規のお釣りプラスこれがあったので、詰まっていたのが出た来たか、誰かがいたずらで受け取り口に置いていたか。
(2011/05/15追記:どうやらこの貨幣は、あまり流通はしていないそうだが、wu jiaoという音が縁起の良い言葉と同じとかなんとかで、慶事に使われたりするとか何とか。ということは、誰かが縁起物として財布に入れていたコインを間違って自販機に投入しちゃったのでしょうか。)

この日はコーヒーを飲んでいない。
やる気が出ないので家に帰る。
というのも、朝、コーヒーを入れようとしたらコーヒーメーカーのガラスをシンクに当ててしまい、ヒビが入ったのである。

なので帰宅後早々に近所のスーパー(ヤバスーではない)へ自転車で行き、安物のコーヒーメーカーを購入。
今までと同じ位置に置きたいが、コードが短くて届かない。
どうしようか。


夕食は豆ONパスタ。
そしてライスペーパーで野菜を包んだもの。


微妙にパスタとライスペーパーがあまったので、合体させてみた。
名付けて、「パスタのサナギ」。

2011年4月6日水曜日

バン(4月6日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月30日。)


おー。
東北地震の後、沖合に浮いた家のがれきの上で数週間過ごしていた犬、バンの記事(@The Toronto  Star )。




2011年4月5日火曜日

書き物の指導を受ける(4月5日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月30日。)


朝食。
昨日、多めに作って置いた焼きめしを温めて食う。



書き物、といってもほんの数百語の文であるが、完成を目指す。
ボスは(いろんな意味で)非常にストリクトである。

夕方は前日に取ったF女史のデータを分析する。

帰宅後、豆。
 豆は偉大である。

食後は読み物。

2011年4月4日月曜日

(4月4日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月30日。)

朝食。

この日は書き物中心に作業。


おやつの時間に自動販売機でチョコ。
ぬがー。超甘い。


帰宅後、焼きめしを作る。
 そして食う。

研究を進める、人と心地よく付き合う・・・すべての要は英語であるなと思う。

いえでごちゃごちゃと(4月3日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月3日。)

今日は朝10時頃まで寝てた。
起きてコーヒー飲んで、昼前に朝ご飯。
醤油味ですが、麺はパスタです。

その後時計が昼頃になったので、律儀に昼食を食べる。
あー、まじでこのピタ食べるのめんどくさい。
この写真のように半分に折っても割れる。
ちなみに半分に切ってドラえもんのポケットみたいにしてもボロボロと破れて話にならん。

昼からごちゃごちゃしてたら夕方になった。
何となくテレビを付けたらBarnyardというCGアニメが放送されていた。
牧場の動物たちの話で、主人公は擬人化された雄牛。
どの動物も擬人化されてるから、リアリティなんてものは無いのは解る。
が、雄牛にもメスと同じ巨大な乳が付いていたのだけは最後まで気になった。
出てきたときにメスだと思ったらおっさんの声でしゃべり出して、メスっぽい牛に声を掛けて。さらに「Hi, dad.」「Oh, son.」という会話では両方とも乳付き。
ネットで調べてみたら、やっぱみんな違和感を感じていたらしい。


6時頃に家を出てちょこっと大学へ。
1時間半か2時間くらいして帰宅。

晩ご飯はフレンチトーストのようなもの。
ただし、液につけ込まず、フライパンに載せたパンの上に液をじゃーっと掛けた。
そして牛乳が多かったのではみ出た液はモロモロに。
それでもまあまあの味。

学校へ行ったときは温かく、ニットのパーカーだけでOKだった。
カナダもそろそろ春なのか、と思っていたら、今、窓の外、雪降ってるぅーー(笑)

2011年4月2日土曜日

一日中座っていたが何も起こらず(4月2日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月3日。)


朝食。
このピタは曲げるとどうしてもボロボロと崩れてしまうので、上に載せた食べることに。
もう二度とこのピタ買わない。
 
食後パソコンの前に座る。
座ったからと言って急に頭が良くなったり分析が終わったりとか、そういうことは起こらない。

昼食。
豆スープは、炊きたての時の鍋の奥の方は色がまだあまり黒くない。

14時にF氏とヤバスー。

あと10日で家を空けるので、あまり買い込めないなあとか思いつつ、レタスっぽいものを2つも買ってしまった。 まあ、いざというとき用に牛頭マークのライスペーパー(手前円形の物体)も買ったから消費仕切れないことはない。
手前の黄色い袋は、印度菓子。
以前から店で見るたびに「なんじゃこれ・・・」と気になっていたのだが、ちょっと安くなっていたので試しに買ってみた。
んー。
予想通り、硬い揚げ玉みたいな感じで、質の悪い油の味がする。
まだ終戦間もない頃に駄菓子屋で食べた味だなあ、と想像できる味。
HOT MIXと書かれているが、これっぽっちも辛くない。

それと、小さなカップデザートが77セントくらいだったので買ってみた。
美味しい。より厳密に言えば、普通の味(笑)

その後はまたパソコンの前にすわってみたが、何も起こらなかった。

夕食に何を食べようかと考えていたときに、ピタをうまく巻けるかも知れない方法を思いつき、再挑戦する。
食品用プラスティックラップ(サランラップのようなもの)を巻き寿司の巻きすのように使って巻けばうまくいくのでは、とのアイデア。
結果はこの通り。
この崩壊ぶりはすばらしい。
「破れる」とか「折れる」とかではなく、「砕けてレタスと入れ替わってしまう」。
写真で見るとレタスが多すぎるように見えるが、実際には(ちょっと多めだけど)それほど多くもない。


ところで震災に関して、今ではめっきり、海外メディアの論調は日本政府と東電批判になっているようで。
確かに批判されても仕方なさそうな対応だが、別にそこまで一生懸命批判する必要もないはず。
厳しい批判は、「原発が悪いんじゃなくて使用者が悪かったんだ、うちの原発は危険じゃないんだ」と思いこみたい気持ちの現れなんだろうな、と思う。

2011年4月1日金曜日

久々に夜まで働く(4月1日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月3日。)


朝ご飯。
ご飯が少ない上に、電子レンジで温めすぎてカチカチになってしまった。
なのでこの後、汁掛けご飯になった。


朝のミーティングの後、全然違う実験のプログラムを書こうと思っていたけど、メインの実験のプログラムに微妙な箇所があるのを思い出して修正(?)。
さらに学生さんに実験遂行の指示などを出した後、修正したプログラムの動作確認。
(実はこのプログラムを使って学生が実験するので、指示出しと動作確認の順序がダメ。)

その後、卒業生のA女史の実験に被験者として参加。
開始前に雑談をしていて、Poutine という料理があることを教わった。
他にも、ティムホートンのコーヒーが当たり付きだとか、いけてる音楽をながすonline radioとかも教わった。
良き市民である。

そうこうしている間に夕方になってしまった。
そこから、論文の修正を開始。
一区切り付いたら夜の8時半であった。
こんな時間までオフィスにいたのは久しぶりだ。
実験室にはたまにいるけど、それもまれで、たいていは6時頃には帰るからな。

ああつかれた。

晩ご飯はフェトチーネ。
具は貝とエビとエンダイブ。
うまい。